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「石の宝殿」はメガリス(有史前巨石遺跡)ではありませんが謎に満ちた巨石の遺跡には違い在りません。 何時の時代に、誰が、どのような目的で作ったのか、あるいは作りかけて途中でやめたのか、と、謎になっています。 「宝殿」は(ほうでん)と読みますが、高砂市を通るJR山陽本線に「宝殿」駅があります。 そこから西方向を見ると小高い丘の中腹に神社らしき建物が見えます。 この辺りの小山は竜山石と言う名前の岩山ですから所々に丸みを帯びた岩肌が剥き出しになっていたり、稼働中の石切り場が見えたりしています。 竜山石は凝灰岩の一つで、柔らかく加工しやすいので古墳時代には石棺が大量に生産され大和地方にも運ばれていたそうです。 当の大和地方にも凝灰岩は二上山近辺から産出し、やはり石棺が生産されているのですが播磨地方からや、遠くでは九州からも運搬されていたそうです。 昔の人の行動範囲は結構広かったのですね。 さて現代では、「石の宝殿」は実は生石神社(おうしこ)の御神体として祭られています。 この神社は崇神天皇の御代に創建された、と神社略記には出ています。
「石の宝殿」の石の山頂からの景観 「生石神社」の参道、階段を昇り切った奥に「宝殿」がある
急な階段をひたすら上を見ながら上がって木造のテラスを潜り、後ろを振り返ったら左の写真の様なトンネル風景が見えた。 この高みが問題だと思います。 つまり完成した宝殿石を移動する場合この急な高さを下る必要があります。 盛り土をして坂を作り、近くの川まで修羅で下るつもりであったかもしれない、が大変な量の盛り土となります。
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宝殿石を周囲の岩山から俯瞰したところです。 左の写真が周囲の岩肌を写していて岩山を刳り貫いて作られている様子がよくわかると思います。 左のこれは想像図ですが現在では上面に木が生い茂っています。 高さ約570cm、幅は約650cm、奥行き約721cm、です。 巨石の裾もひと回り奥まで面が彫られていて、水面より40cmほど浮き上がった状態に見える。 左の写真に正面の岩肌が写っているが、正面はノミが入らない自然の岩肌となっている。 背面には屋根の様な突起が作られているがその細工は角が鋭角に出されていて正確な仕事です。 石を取りまく溝が「益田岩船」と似るところからそれとの関連を言う説もあります。 河内の石宝殿、玄室の入り口部は段が刻まれていて蓋がはまる様にしてある。 全体に丸みのある大石はバランスのよい形で地面に座っている。


もう一つの石の宝殿
大阪府寝屋川市打上の小高い丘の上に河内の石宝殿があります。 これは古墳と分っていて、宝殿と言う名前は後からついたのでしょう。 近辺で出た石かどうかは分かりませんが花崗岩の玉石の内部を刳り貫いて玄室にしています。 鬼の雪隠石と同じ発想で作られたものだと思います。 入り口はほぼ南に向いて開口しています。 今では周囲は雑木の林で人気のない場所ですが、この古墳のすぐ西側に、「打上行者堂」と言う小さな石の祠があって中には役の行者の石像が祭られています。 また、この祠の後ろ側は大変見晴しが良く西の方に妙見山のある山並み見えます。 古くから要所だった場所と言う感じがしました。

参考:「日本史の謎・石の宝殿」間壁忠彦/葭子著.六興出版
生石神社略記